亀山4丁目落下傘降下地に石柱
 原爆投下に関連する場所を継承しようと、安佐北区亀山地区の大毛寺連合町内会(濱田昭法会長)は2月、亀山4丁目の大毛寺川土手に米軍の原爆観測用の落下傘が落ちた場所を表わす石柱を建てた。
 可部地区には8月6日(1945年)の原爆投下後、30分から1時間のちに@亀山5丁目の福王寺参道近くA参道から600b離れた同6丁目の給人原遺跡付近B同4丁目の大毛寺川沿い水田の3カ所にそれぞれ落下傘が着地した。
 落下傘は原爆投下後のデータを取るため米軍が長さ1bの「自動通報式爆発測定無線装置」を付けて落とし、現在、市平和記念資料館に保存中。投下時、「米兵が落下傘で降りてくる」と大騒ぎに。着地後は「時限爆弾では」と住民は避難した。
 連合町内会は昨年秋、地区内の名所旧跡を訪ねる「わがふるさとウオークラリー」を実施。その中に落下傘降下地点も含まれ、目印があるのは福王寺参道近くの石碑だけだった。当時を記憶する人が元気なうちに証言を得て他の2カ所にも目印を整備することにし、今回は大毛寺川沿いに石柱を建てた。
 石柱は報恩寺の対岸、大毛寺川の「みどり橋」西の土手。高さ1b、20a四方の御影石に「この付近に原爆観測用落下傘降下」の文字。降下地点の水田は宅地になり、間近な場所に設置した。通行人は「こんなところに落下傘が…」と足を止める。
 水田の所有者で石柱の近くに住む玉本嘉津子さん(77)は「2つの白い光ったものが重そうな物体を付けて、ゆら、ゆらと落ちてきた。先生が子どもたちを避難させた」と当時の様子。玉本さん宅隣の小中ミツコさん(88)は「同級生だった玉本さんの叔母さんから落下傘降下の模様をよく聞いた。市内から運ばれる負傷者の介護も手伝った」と話す。
 濱田会長(71)=亀山7丁目=は「記憶が薄れて行くなか、2人の貴重な証言で石柱を建てることができた。石柱の意味を平和学習に役立ててもらえれば」と期待する。給人原遺跡付近にも今後作る。(写真:落下傘降下地点の石柱を中心に、左から濱田会長、小中さん、玉本さん)


南原の加藤さん
ドングリや木でミニひな人形

 安佐北区の三入公民館で木工教室の講師を務める南原の加藤昇さん(70)は2、3月に同公民館でドングリや木製のミニひな人形を展示して話題になった(左写真)。
 ひな人形は木を斜めに切った部分に顔を描き、ドングリの帽子もうまく使ってある。手や足はススキの茎や小枝を使用。背丈5aの人形の5段飾りが最大。牛車、たんすなど花嫁道具も並ぶ。特に注目されたのが背丈2a以下の超ミニ人形。顔の表情がすべて違うのが特徴。髪は洋裁の糸を一本ずつ付け、扇子も開く。
 加藤さんは「定年後の暇つぶしで始めた木工。作った作品が多くなり、公民館からの誘いで展示した。ほかに2カ所の病院でも飾り喜ばれている」とにっこり。
 公民館では続いて加藤さんの五月人形やかぶとを展示中。