地域でいま 4月
 安佐北区可部町の戦没者慰霊祭は4月2日、可部東5丁目9番の可部町招魂社で開かれる。今年は戦後65年の節目。主催する招魂社後援会の役員は3月4日、社殿などを清掃した(写真)。
 招魂社は最初、大正8年に可部町上市の高宮高等小学校の校庭に建てられた。 一時は忠魂社、可部神社などと呼ばれた。終戦で昭和20年末、両延神社に移転。当時の遺族委員長(元可部町長)が発起人になり、遺族会や有志の寄付金で同22年4月、現在地の旧可部高校グラウンド北に招魂社を建てた。大林、三入、亀山の旧3村が可部町に合併した同30年、3村の戦没者も合祀。可部町の広島市合併を機に同48年10月、遺族会、町内会、自治会の代表が協議し、社殿を管理する招魂社後援会を設立。毎年春の慰霊祭や建物の改修、崩れた石垣の修復などに当たっている。
 現在、社殿に掲示中の名前は第2次世界大戦などの戦没者、学徒動員や軍務中に原爆で亡くなった計810人。慰霊祭では遺族など約200人が参列し、区長、市議、遺族会代表が追悼の辞を述べる。
 慰霊祭を前に関係者に聞いた。
 県議で平成14年から招魂社後援会長の山崎正博さん(71)=勝木=は3代目会長。「後援会が発足して37年、遺族会や町内会、自治会、有志の協力と支援で慰霊の歳月を重ねてきた。一方で戦後65年たって遺族が減り、後援会組織も世代交代などで意識に変化が見られるとき、設立の原点に返った取り組みが必要」
 副会長の広重一夫さん(79)=可部3丁目=は兄3人が戦死。慰霊祭の準備と進行担当。「宮総代の経験で幕張りや飾りつけをしている。後援会の皆さんの協力があっての慰霊祭」。
 副会長の山本茂夫さん(79)=可部東5丁目=は兄が戦死。自宅が招魂社に近く、神社の維持、管理を担当。「かつて神社は子どもの遊び場で、モチまきや相撲もあった。屋根の雨もりなど補修の費用面では気を遣う」
 事務局長の東谷保夫さん(80)=可部3丁目=は義父が戦死。平成5年から13年間事務局を担当し、文字が薄くなった戦没者名板を1週間かけて書き直した。「慰霊祭は戦没者に思いを寄せ、平和への誓いをすること。その心と、慰霊の場の存在を子どもたちや地域で末永く継承したい」
 事務局の宮本昌明さん(70)=可部7丁目=は東谷さんから事務局を引き継ぐ。後援会の自治会・町内会は150。遺族会総代は70人。「1月の後援会総会や4月の慰霊祭に向けて年末から案内状を準備し、発送する。財政難の折、自治会の会費納入に感謝している」
 広島市遺族会可部支部(会員242人)の支部長を10年間務め、慰霊祭で謝辞を述べる増川計さん(71)=亀山3丁目=は1歳のときに父が戦死。「遺族会の役員として関わって30年余。会員も高齢化で人数が減っているなか、後援会で慰霊祭を催していただくことに心から感謝している」
10年間副支部長の木谷哲さん(85)=可部3丁目=は兄が戦死。招魂社の今の用地は父親が遺族会長当時、提供した。「後援会発足当時は父と一緒に趣意書を持って町内会長宅を歩いた。慰霊祭は、かつて座布団が足らないほど参列者がいた」
 12年間副支部長の花岡達朗さん(81)=大林3丁目=は叔父と義兄が戦死。父親に次いで遺族会役員。「高齢化で拝殿前の石段がきつい人も増えた。地区代表制の役員でもあり、地区の後継者に引き継ぐことが大事」
 8年間副支部長の中本輝治さん(80)=上町屋=は兄が戦死。「遺族にとって慰霊祭や寺での追悼式は思いを新たにする節目。一方で遺族も高齢になり組織の存続には役員の若返りが必要」
 7年間支部事務局長の福田宏之さん(69)=可部3丁目=は父が広島市の軍施設で被爆死。3月の社殿清掃に参加した。「遺族会員や地区総代の皆さんの協力は心強い。年月がたち招魂社の存在を知ってもらう努力も必要」
 遺族会支部では慰霊祭とは別に毎年11月初め、可部地区3カ所の寺の交代制で戦没者追悼式を開く。今年は可部3丁目の勝圓
寺。




もう一つの招魂社、可部南1丁目、中島招魂社の戦没者慰霊祭は4月11日に行われる。
 昭和24年に高陽町中深川地区の欽明鉱山が閉山したとき、敷地に祭られていた神殿を、今の友廣神社西側の境内に建てた社殿に移して招魂社とした。中島、下の浜地区の第2次世界大戦などの戦没者39人、原爆による死者38人、計77人を祀(まつ)る。
 毎年、当番組が遺族を招待して近くの東福寺春祭りと合わせて招魂社で慰霊祭をする。
 招魂社移設から60年を経過。中島自治会(587世帯)の木元芳明会長(63)=可部南3丁目=は「招魂社の維持や慰霊祭のあり方で、昨年から自治会員が経費を直接負担する方式を改め、慰霊祭は友廣神社秋祭りの寄付会計で、修繕費は自治会の文化財保存の積立金を充てるように明文化した」と説明。
 友廣神社氏子総代の新宮実男さん(75)=可部南1丁目=は「同じ境内にある神社と招魂社がいい形で維持管理や祭礼が行われるのは喜ばしいこと。たび重なる水害を受ける中、地域に守られてきた歴史を大事にしたい」と強調。
 遺族を代表して毎年慰霊祭で感謝のことばを述べる松原隆さん(71)=可部南3丁目=は父親が戦死。「母親は亡くなるまで遺族会のお世話をし、一時は可部の招魂社慰霊祭にも参列していた。遺族は70歳以上の高齢になったが、いま平和で暮らせるのは戦争犠牲者のおかげ」と話し、あいさつでは慰霊祭開催へのお礼と核兵器廃絶を訴える。


招魂社 
靖国神社、護国神社の旧称。江戸末期から明治維新前後にかけて国事に殉職した人の霊を祭った各地の招魂場を改称したもの。招魂式(祭)は死者の霊を招いて弔う式(小学館の日本国語大事典から)